中学を卒業すると、昼間は新聞配達、工員、書店の店員、電報の配達など様々な仕事をしながら、定時制高校に通い、
小説家を目指して懸賞小説に応募して何作かが入選。また同時に、昼間の時間が空いたときには、シナリオ研究所で脚本の勉強を行った。新人シナリオコンクールに応募した脚本『近頃の若いやつ』が佳作入選したことから、脚本家の松浦健郎に誘われて、内弟子として松浦に師事した。やがて独立すると、兄弟子のつてで映画会社
日活の企画部へプロットの持ち込みを続ける日々を送り、日活映画『あいつと冒険』で
1965年に脚本家デビューすることとなった。同時期に
手塚治虫の
虫プロダクションでは脚本助手の役職で、他の脚本家のための資料集めをしたり原稿の催促をするとともに、脚本家としてテレビアニメ『ジャングル大帝』に月に1本執筆することでアニメ界へデビュー。