蒋経国の死後、その後継者として中華民国総統、
国民党主席に就任し、中華民国の
民主化・
本土化を推進した。中華民国が掲げ続けてきた「反攻大陸」のスローガンを下ろし、
中華人民共和国が中国大陸を有効に支配していることを認めると同時に、
台湾・
澎湖・
金門・
馬祖には中華民国という別の国家が存在するという「中華民国在台湾」を主張、その後さらにこの国のことを「台湾中華民国」と呼ぶようになった。北京政府との内戦状態の一方的終結宣言は、内戦を理由に存在し続けてきた治安法「動員戡乱時条款」を廃止させ、政治の「民主化」を推進させることとなる。また、総統在任中
経済発展についても大きな成果を上げている。
父・金龍は警察官であり、経済的に安定した家庭環境により幼少の頃から教育環境に恵まれていた。父の転勤にしたがって登輝は6歳から12歳までの間に汐止
公学校、南港公学校、三芝公学校、淡水公学校と4度の転校を繰り返した。淡水公学校卒業後は私立台北国民中学(現在の
大同高級中学)に入学したが、1年後の
1938年には淡江中学校に転校している。淡江中学校では学業に専念し首席の成績で卒業、卒業後は
台北高等学校に合格している。